鏡を磨いて ― 山花ひとりがたり

川端康成を始めとする日本文学や、日本思想をテーマに、徒然に考えてみたことを綴ってゆきます———。

「遊ぶ」心で

今週のお題「〇〇からの卒業」

 今年卒業される学生の皆さん、御卒業おめでとうございます。とはいえ学生の中には、まだ後期試験の結果が判明しておらず心の底から笑えない、という方もいるでしょう。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉もあります。出せる力はすべて出したのだと、胸を張りましょう。

 さて、新年度には環境の変化がつきものですね。今回は、環境の変化についてあれこれ叙してみたいと思います。

 

 薬学部に進んだせいか暗記量が受験期の比でなかったため、毎日の勉強が鬱屈になっていました。試験に向けて勉強するときも、「何でこんなことせないかんのや」「それより "Only my railgun" 聞きたいわ」と考えたりするのですが、同時に、こんな態度で薬学と向き合っていいものか悩ましくなります。そして、勉強より読書をしたり音楽を聴く方が良いというのは、ただの悪い思い込みではないかと思うようになりました。

 

 私たちは何か一つの思考に囚われるあまり、他の考えに気が付かなかったり、さらにはそれを排斥しようとするときがあります。ですが、物事の価値などというものは、私たちが少しの知識で早合点して決めてはなりません。そのため、そうした知識などを一旦横において、真っ新な気持ちで目の前の物を見ることが必要です。

 そう思ってからは、とにかくまず雑念を捨てて目の前のこと(勉強や家事)に打ち込むようになりました(ちなみに、これを極めると禅語に曰く「三昧」という境地にたどり着くのだとか——)。本気で勉強(例えば生命科学や物理化学など)に向き合ってみると、知識が増え、相手のことを理解する度に愛着が湧くようになりました。まずやってみろ」というアドバイスは、本当だったのだと併せて実感した瞬間です。

 

 ここで私が思い起こすのは、「遊ぶ」という言葉です。

 早合点しないで下さいね。これ、遊戯や"play"という意味の遊ぶとは違います。これは私の親がよく言っていたのですが、「今するべきこと(仕事や勉強、それに趣味など全部)にどっぷり没入し、それを楽しむこと」*1

という意味です。「あれがしたい」「これはしたくない」という思いに過剰に縛られすぎて、かえって疲れてしまっては元も子もありません。

 

 慣れない環境に動揺してあれこれ考えこむこともあるでしょうが、その前に、目の前のことにまず全集中で取り組んでみてくださいね。私も目いっぱい「遊んで」みせます。

*1:「遊ぶ」について、玄侑宗久さんのエッセイを付記します。是非読んでみてください。
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