鏡を磨いて ― 山花ひとりがたり

川端康成を始めとする日本文学や、日本思想をテーマに、徒然に考えてみたことを綴ってゆきます———。

輝かんばかりに広い心 ― 『生きてさえいれば』

 「わたしの本棚」では、その月に読んだ本、もしくはどうしても色々綴りたくなった本について感想文や紹介文などをあれこれ記していきます(注:ネタバレがあるかもしれません、ご容赦ください)。

生きてさえいれば (文芸社文庫NEO)

生きてさえいれば (文芸社文庫NEO)

 

 Twitterのタイムラインで流れたとき、「可愛い表紙だな――」と思ったことが、私と『生きてさえいれば』との出逢いでした。作者の小坂流加さんはわずか39歳で逝去されたと聞いていた私は、どんな物語、言葉を遺したのだろうと思い手に取ることにしたのです――。

 

 『生きてさえいれば』は、自殺を考えている小学生の千景(ちかげ)が、難病で入院している叔母の春桜(はるか)を見舞いに行き、彼女の大切な手紙をある人物へ渡しにひとり大阪へ行く前半、春桜とある人物である秋葉(あきは)恋物語の中間部、そして後半へ続きます。

 この春桜という女性はとても人懐っこい性格の持ち主で、髪型を変えた主治医に「似合ってる。若く見えるわ。写真撮らせて」と言ってライカで写真を撮るまでは、「そういえばいたな。『阪急電車』でもこういう社交的な人」と思っていました。とはいえ、秋葉の名前を知るや「秋葉くん、結婚しよ!」と人前で言ったときは少し後ずさりしかけましたし、頻繁に秋葉のもとを訪れては自分のペースに引き込む彼女の行動を見ると、「私は好きだけど、多分拒否反応出る人いるやろな……」と心の片隅で考えてしまいましたが。

 

 土足で踏み込む、という言葉を聞いたことがあるでしょう。小説や漫画でも、くどく話しかけられて詮索されるのがうざったいので距離を置こうとする……という場面を私はよく見かけます。大抵、「知りたい」という好意や「伝えたい」という厚意など自分の想いを相手に届けたいという具合でしたから(時としてそれはエゴイズムの強要になるため注意が必要ですが)、はじめ、私は春桜を見てそう思っていました。

 しかし、秋葉が交際を通して感じた春桜の姿は、想像と違いました。

 この部屋を片付けていて分かったことがある。

 牧村春桜という人間はブラックホールなのだ。

 すべてを飲み込み、膨張していく闇。スタイリストがかわいいからと勧めたので買った服、みんながおもしろいというから見たDVD、君に似合うといわれてもらったアクセサリー、ゴミ袋の中は ”みんな” の中にいる ”牧村春桜” でぎゅうぎゅう詰めだ。彼女はそれらを何の躊躇もなく受け入れてきたのだ。人から与えられる牧村春桜をどんどん吸収して、この部屋は彼女の手に負えなくなった。

 確かに秋葉と真剣に付き合いたく、大胆な行動をとることがあります。しかし、活字が苦手でも秋葉の好きな『銀河鉄道の夜』を読み、小説にちなみりんどうの花を買ってくるなど、彼のことを真剣に知りそれを共有したいと思う可愛いところがあります。そして、秋葉の想い、友情以上のカヤの思い、望の眼を向けるまわりの学生の思いを、彼女は笑顔で包み込んでいました。

 春桜本人と姉の冬月(ふゆつき)は無菌室育ちと言っていますが、色んな人の想いを笑顔で受け入れることの出来る輝かんばかりに広い心は、こうした育ちの賜物でしょう。こうした人間像は、私の憧れの一つです。また、一見華やかな春桜本人の普段の姿がよれたTシャツにスウェットであるところには、等身大の姿を見て安心した反面何となく人前での姿が虚像みたく思え何とも言えなくなりました。

 

 しかし、春桜はその広い心に取り込んでしまった棘によって苦悩し、ある悲劇に見舞われてしまいます。詳細は申しませんが、その場面に遭遇したとき、「人って、愛や羨望があると(否、自己の欲求を叶えたいだけと信じたい)こんなことをするのか――」と茫然としてしまいました。

 一応申しますが、この作品はこの世の非情さを描いたのではありません。

 春桜と秋葉の恋は大阪でおきた非常のため一旦終焉してしまうが、春桜の身体は難病と流産で壊れそうになってしまうが、千景はいじめられるが、秋葉の妹・夏芽(なつめ)は足を動かせなくなってしまうが、「生きてさえいれば」、そんな時間も前に進めることが出来る、絶望も克服できる――。この題名に込められたメッセージは、若くして夭折した小坂さんが綴ったメッセージは、かようにも生命(いのち)の尊さを感じさせるものなのでした。

 

 今にも絶えようとしている傷だらけの生命…。穏やかに輝く生命…。読む前に出来た先入観かもしれませんが、小坂さんがご自身の病と向き合いながら見つめた生命は、実に輪郭のはっきりした説得力があります。それを兼ね備えた『生きてさえいれば』の春桜を垣間見ることが出来たのは、大きな収穫でありました。

 『余命10年』を含めた小坂さんの小説の感想は、また別の機会としましょう――。