王朝文学の甘美な世界へ—『少将滋幹の母』
久しぶりに谷崎潤一郎の小説を読みました。高校生の自分に『細雪』『春琴抄』で初めて谷崎潤一郎を知った私は、『陰翳礼讃』で東洋的な美を教えてもらい、川端康成と並び日本の美しさについて考えるうえでの大きな指標にさせて頂きました。
今回読んだ『少将滋幹の母』という作品は、そんな東洋的な美を味わうだけでなく、谷崎の美意識にも迫ることが出来るような作品なのです——。
『少将滋幹の母』は、左大臣藤原時平によって母を連れ去られた少将滋幹が、数十年の時を経て母と再会するまでの物語を、平安時代の貴族・平中の恋物語や、大納言藤原国経の悲哀など様々な視点から描いた作品です。まるで『源氏物語』のように時折和歌が挿入され、『平中物語』『今昔物語集』など様々な古典も登場する、さながら学術書のような格調高さをもっており、谷崎の創作も含まれていると知っていつつも*1、説得力が半端ではありません。
まずこの作品で感じたのは、谷崎の一文一文がまるで詩のように芸術として完成されているということです。
ひとしお此の顔が神秘に満ち、謎のように見えて来るのである*2。
これは滋幹の母を形容する一文です。「謎」という表現は麗人描写では滅多に見ないでしょう。俗世にまします女性では決して感じられない、まるで菩薩のような美しさと想像されます。現代の身近な女性を想起するのとは違い完全に自分の想像になるからかもしれませんが、私は川端ならび谷崎文学の女性描写に思わず胸がときめくことがあります。その理由を、こうした表現からも感じていただけるのではないでしょうか。
谷崎文学の女性描写、是非これからも堪能していきたいと思います(まあ、マゾヒズム系は若干躊躇するかもしれませんが……)。
さて、もう一つ本作より一文を紹介しましょう。愛する北の方を時平に奪われた老大納言国経は、愛という名の無明を振り払うため、瞑想し彼女の美しさを路上の屍の如くいずれ朽ちるものと思い込みます。そんな父を目の当たりにした滋幹は、憤りこう叫びそうになります。
「お父さま、お願いです。私の大好きなお母さまを汚さないでください」*3
と。
ここで特筆すべきなのは、滋幹は、「美しい母の印象をそのまゝ大切に保存しよう」としていることです。この、美しいものを美しいまま保存したいという思いに触れたとき、私はかつて読んだ『春琴抄』を思い出しました。『春琴抄』の佐助も、顔を負傷した琴の師匠・お琴の美しかった顔を心に留めたいという思いに駆られるのです。こうした「永遠の美」という観念が、谷崎文学の中にひとすじの糸のように通っているのではないかと私は考えるのです。
面白いと思ったのは、この永遠の美という考えの対として「仏教的な無常観」を、説話を引用しつつ国経の行動とともに描写していることです。
「不浄観」という言葉が、ここでの国経の行動のキーワードとなります。人は美しきものを愛でそれに執着しようとしますが、ひとたび自他の身体が不浄であると認識することによって、結果無常を悟るというものです。国経は瞑想に耽りこの観念を習得することによって、わが身の不幸、そして愛する北の方への執着から解かれることを願ったのでした。詳細な議論は仏教書などに譲りましょう。 jodoshuzensho.jp
『発心集』のような説話文学にも依拠しながら、北の方の美しさ、自然描写の美しさとは違う、この世の醜い一側面を谷崎は描いたことで『少将滋幹の母』は、単なる母恋ものとは違う重厚感を手にしました。永遠の美に傾倒するだけではなく反対の視点を描いた当たり、谷崎の何かしらの思索があったのでしょうか。興味は深まるばかりです。
このように『少将滋幹の母』は、谷崎の美麗な文章を以て王朝文学の甘美な世界に私達を誘うだけではなく、時に仏教的な世界観を示してくれます。決して長くない文量なのですが、実に何度も読んで咀嚼したくなる名作であると断言することが出来ます。(了)
